現代の民家をめざして
*下野田の家/埼玉県白岡市
私の生業は建築の設計、特に個人の住宅に力を注いでいます。住まい徒然草の中にも幾つか書いていますが、今、町のあちこちで見かける住まい、住まいづくりを見ていると、どうも「向かう方向が少し違っているのではないか?」と感じています。
一つは住まいの寿命の短さ。増築や改修で大切に住み続けられる家がある一方で、30年前後で建て替えられてしまう家が多いのも事実です。同様に使われている新しい建材の製品としての寿命の短さ。素材そのものは、それなりの耐久性を持っていても、いざ取り替えようとした時や、増改築などで同じ建材を使いたくなっても、市場原理でもうそれが生産されていない事もあります。
住まいは天然の素材にしろ、工業製品にしろ、貴重な資源やエネルギーを使って生産される以上、単なる消費財であってはならないと思います。つくられた以上は、個人の住宅であっても社会的なストックとしてある程度の寿命を持つべきであると私は考えています。手を入れながらも三世代、およそ百年くらいは大切に使われるような住まいであるべきではないかと思います。
工業化、流通の発展、市場原理等により、かつては地域依存していた建材の供給も地球規模のグローバルな世界で行われるようになりました。全てを否定するつもりはありませんが、結果として、金太郎飴的な、地域性や個性の感じられない、同じような町並みが各地に現れてきたり、経済性を最優先した結果として、国内に豊富な森林資源を持ちながら、外国の貴重な熱帯樹林や森林資源を買いあさり、環境破壊を引き起こしたりと、反省すべき点も多々あります。
外国において環境破壊を引き起こすことなく、不要な流通コストをかけることなく、地域で生産される材料を使い、地域で活躍する職人の手になる、かつては当たり前であった、自給自足型の住まいづくりが再評価されるときが来ていると思います。さらには規格型の建売住宅に代表されるような無個性で画一的な住まいづくりではなく、住まい手のライフスタイルを反映した住まい手の顔の見えるような個性を持つべきであると思っています。もちろん、町並みや地域性を無視した自己主張だけの住まいをつくるつもりはありません。地域や周辺の環境を考慮しながら、その土地らしさ、自らの住まいらしさを持たせることは、設計者の責務であると思います。これからの住まいづくりをどう進めていったらいいのか、私の考えを少しづつですが、ここに発表させていただきます。
(註:ここで民家という言葉は、かつての萱葺き屋根のような民家ではなく、庶民の家というつもりで使っています)